社会民主主義がなすべきこと
小川有美【立教大学法学部教授】
生活経済政策研究所の専務理事、研究部長等を長く務められた小川正浩氏を偲ぶ会が先日開かれた。氏は、本月刊誌編集の裏方を務めるだけではなく、論考の翻訳や執筆を活発に手がけられた。その中でも『ヨーロッパ社会民主主義「第3の道」論集』は、ニューレイバーをはじめとする新しい中道左派が次々政権交代を果たした世界的転換を日本に伝える貴重な貢献となった。その後各国で右派が勢いを増し、「第3の道」について論じられることもほとんど目にしなくなったが、それでも小川氏は「社会民主主義がなすべきこと」(月刊誌2012年4月号)を追求し続けた。篠原一に「全日制市民」ということばがあるが、小川氏はまさにフルタイムで、社会民主主義が日本に根付く未来を考えておられたと思う。
残された者が問われるのは、「社会民主主義がなすべきこと」を見つけられるか、ということだろう。昨今の政党(や政党もどき)は短期的な給付、減税を票と交換しようと汲汲とするか、他者を顧みない自己中心的なアテンションを掻き立てるかに終始し、未来への責任がかすんでいる。しかし「賢明」なはずの社会民主主義のビジョンがアピールを失っているのも事実である。境家史郎は、「手取りを増やす」国民民主党が若年層の人気を集め、立憲民主党が「高齢者向け」の党となって、世代間、野党間の分断の時代が訪れていると指摘する(『中央公論』2025年3月号)。若い世代の政治学者が社会民主主義にもはや興味を失っているのかどうかはわからないが、新しい企てとしてたとえば『インフォーマルな政治の探求—政治学はどのような政治を語りうるか』(松尾隆佑・源島穣・大和田悠太・井上睦編)がある。そこには企業組織や不妊治療や技能実習制度やうつろう運動・暴動を「政治」として—個別の「政策」対象ではなく—とらえなおす斬新な視点がある。
19世紀以来の歴史ある社会民主主義というシンボルを見直すかどうか、拙速な結論を下すべきではない。しかし今、社会民主主義はどのような政治を語りうるか。次世代を政策の客体としてではなく、政治の主体として共に考えてゆくべきであろう。
(生活経済政策2025年6月号掲載)